私はインガルスの総務部で管理職を務める者である。

久しぶりにオウンドメディアの記事を書いている。

せっかくなので若手社員にも記事を書いてもらおうと、
1~3年目の社員に記事の作成を依頼した。
もちろん、強制ではなく、総務部の管理職という立場から誠心誠意お願いした形で。

そのため、直近の記事は全て若手社員が作成した内容となっているが、
非常に面白く書かれている。
もちろん、お世辞ではなく、一個人として悔しいという気持ちも込めた意味で。

こうなると、依頼した側の威厳を保つためには、小難しいテーマを選んで、
あたかも難しく書いているかのような演出が必要となる。

そう、そんなときのテーマはもちろんChatGPTだろう。

わかっている。
この話題の展開も、オチも、十分に理解はしている。
それでも、私は、若手に負けたくないのだ。

まず、ChatGPTとは何か?

それは、オープンAIが開発した自然言語処理モデルの一つで、
テキストデータを解釈し、人間のような対話や文章生成を行うことが出来る、
だそうだ。

次にChatGPTの利点は何か?

1.即座の情報提供、2.学習と教育、3.クリエイティビティの促進、
4.プログラムのサポート、5.カスタマーサポート、6.インタラクティブな対話、7.いつでも利用可能、
と言っている。

最後にChatGPTの注意すべき点は何か?

1.情報の正確性、2.バイアスや差別、3.プライバシーの懸念、
4.人間の代替ではない、5.費用とリソース、6.制限されたドメイン、
なんだって。

ChatGPT、すげ~な!

・・・失礼。

自然言語処理モデルは過去にも色々と登場してきているが、
ここまで自然な形で言語化出来る性能は確かに世界を変えている印象を持つ。

私たちが長年イメージしてきた”AI”という存在が身近にきたと思えた中で、
やはり、どう付き合っていくかが論点となっている。
もちろん、様々な意見があると思うし、誰の意見も間違いではないと思う。
なぜなら、その模範回答すらChatGPTが答えてしまうくらい、正解などないのだから。

ただ、私はこのツールは活用していくべきだと考えている。
このツールの存在で考えることをやめてしまうなんてことは起こらず、
このツールの存在で考えられる領域が増えたからだ。

検索する時間も、最適解を探しながら文章を繋げる時間も割かず、
自身が本当に必要とすることに時間を使えることが出来るからだ。

そして、私たちの真価が問われるのはどこに時間を使うかということになる。

世界中で唯一平等に与えられている物は24時間という時間だからだ。

新しいことを拒否せず、活用することを考えることで
私たちは色々な事を実現してきているはずだ。
なぜなら、誰もが生まれた瞬間から新しいことに触れているから。

その中で自分にとって大切だと思える部分に時間を費やすため、
隣にアドバイザーを置くことを否定される理由なんてないはずだと考える。

「ChatGPTは人間を退化させるのか?」

「AI技術は人間の能力を補完し、新たな機会を提供する一方で、
人間の責任と判断力が不可欠です。
AI技術が人間を退化させるかどうかは、
その技術がどのように活用されるか、
そして社会的・倫理的な側面がどのように扱われるかにかかっています。
健全な使い方とバランスが求められます」

私たちは何かの影響で進化も退化もしない。
いつでも、変化させるのは自分自身であると、
教えてもらった気がします。

ChatGPT、すげ~な!


※この文章は「私」が作成しております